理解と認識。
日常生活でも混同しがち(特に人間関係において)ではありませんか?
僕はそれがとても危険であるなとよく感じます。
認識だけしてればほとんど良い問題を、相手側の甘えであったりこちらのなあなあな譲歩で理解にすり替えてしまう場合があります。
この人はこうゆう性格だ、こういう一面がある、等は理解する必要はほとんどにおいて全くない。自分の為にも相手の為にも実は特に何ともなりはしない。
ただし、認識力を鍛え(視覚の変化、些細な態度の変化)洞察力を鍛える(内面外面共に)ことは、人間関係の形成において双方、周りも含めとても良いことです。
さあ、認識力と洞察力を高めよう!アンテナを高く持とう!(笑)
繰り返し言いますが、理解はいらない。それはきっと誤解と勘違いのもとだったりしますし。。
あなたは理解があったじゃない。と言われたら、いやいや認識してただけだよ。
といえるスタンスは大事ですよね。